誕生(1971年)から
高校(1989年)まで
心に残る“母のミシン”
1971年2月2日、名古屋市北区で誕生。今も古くからの団地や家屋が建ち並ぶ“庶民の街”で育つ。両親と二つ上の姉の4人家族。生活は決して楽ではなかった。母は「家計の足しに」と縫製の内職を。自宅にあった工業用ミシンのあの独特の音が今も耳朶に響く。
「天文学者になりたい!」
幼少期、母が多くの本を読み聞かせてくれた。興味を示したのは物語ではなく、「ロケットのしくみ」や「地球はなぜ青いのか」といった科学の本ばかり。すっかり宇宙に魅了され、小学生時代には地元プラネタリウムの天文クラブに所属。親戚から借りた望遠鏡で夜な夜な、木星の衛星「ガリレオ」や土星の環などの天体観測をする少年期を過ごした。小学校の卒業文集には、将来の夢の欄に「天文台を造りたい」と力強く記されている。
かつては“バク転”もできた!?
小学校時代は野球部。中学校ではサッカー部で左サイドバック。高校は体操部、2年時に主将。当時はバク転・バク宙、車輪もこなしたが、「今は絶対にできません(笑い)」。
進路を決めた父の一言
高校時代、物理学の道に進もうと考えていたが、仕事で電算を担当していた父から、「これからは情報の時代だ」とのアドバイスを。時はインターネット黎明期の1980年代末。新時代の到来を予感していた父との語らいが道を開いた。
誕生(1971年)から
高校(1989年)まで
“理系最高峰・東工大”に進学
中学のときにぼんやりと抱いた“理系最高峰・東工大”への憧れ。猛勉強の末、第5類に現役合格。2年次に情報工学科に配属。生活費の足しにするために、1年次から大学院まで6年間、同じ学習塾にてアルバイト勤務。大学院時代には、日本ガイシ株式会社が提供する給付型奨学金を受給、有難さを実感。
情熱と人柄認められ研究者に
大学院進学と共に小川英光研究室に所属。画像処理の大家だった恩師から、情熱と能力、さらに後輩への面倒見の良さという資質を見いだされ、1995年修士課程修了とともに助手に採用。研究者としてのキャリアをスタート。恩師の指導のもと、画像処理、信号処理における「逆問題」を探求。逆問題とは、結果から原因を探る問題。①粗い画像から鮮明な画像を生成する②X線投影データからCT画像を求める③レーダー観測から雨量を予測する―などなど、多くの応用問題に展開できる。スマホなどの身近な技術に使われるほか、医療や防災など命や地域を守る分野にも広く応用されている。「人びとの幸福のために役立てたい」。その信念のまま“学問の道”を真っすぐ歩んできた。
難関乗り越え、中国地方へ
助手採用から数年、成果を出せずに苦しむ。そんなとき、山口大学工学部での教員公募情報に接する。採用条件は博士号取得と論文10本。しかも期間は約1年間。当時の論文数はわずかに1本であったが、恩師をはじめ周りの方々に支えられ奮起。条件を全てクリアし、2000年9月、山口大学講師に。この時執筆した論文にて計測自動制御学会「技術賞」受賞。
山口大学から立命館大学(2000年〜2021年)
豪雨災害で実家が被災
山口大学赴任直後の2000年9月、死者10人を出した東海豪雨が故郷・名古屋市を襲った。浸水被害は約7万棟にも上り、平林の実家も被災。家族の命こそ無事だったが、大事な家財や思い出の品々を喪失。だからこそ、被災者の生活再建のつらさ・苦しさは痛いほど分かる。この体験を原点に、災害対策の強化を誓う。「防災・減災・復興を社会の主流に」と。
海外留学
2004年9月、念願の海外留学。レマン湖に臨むスイス連邦工科大学ローザンヌ校に半年間滞在し、信号処理・画像処理分野の世界的権威、ミカエル・ウンサー教授の研究室に所属。デジタル信号をアナログに再構成する理論で大きな成果を出し、論文を発表した。この論文は、電気・電子分野における世界最大の国際学会IEEEが発行する学術誌に掲載された。この学術誌掲載は「ずっと目標の一つだった」。2009年8月には2度目の海外留学。インペリアルカレッジロンドンでピエール・ルイジ・ドラッゴティ准教授(当時、現教授)の研究室に半年間、所属。画像処理の研究に打ち込むと共に、国際学会で成果を発表。
42歳で立命館大学教授に
米国スタンフォード大学教授らが開発した最新技術「圧縮センシング」を2009年、日本で初めて紹介。一連の論文が高く評価され、2013年4月、42歳で立命館大学情報理工学部教授に就任。外部採用としては若年採用。2015年にメディア情報学科長、2017年から2年間は副学部長を歴任。このとき、中国・大連理工大学と立命館大学との共同学部担当となり、現地にたびたび足を運び交流を。大学の管理・運営に関する貴重な体験となる。
衆議院議員に
2021年3月に立命館大学を退職。同年10月31日の衆議院議員総選挙にて比例中国ブロックから初当選(第5位)。現在に至る。